プロフィール

はじめまして

感情のフタをあけることで自分の本当の声がみつかり

人生をのびのびと楽しめるようになる

幸福のサイクルへリードする 90日 和やかマインドメソッド


アダルトチルドレン専門カウンセラー
として活動しています平風かずのぶと申します。

自分自身の経験と知識と心理療法を生かし、40年間しんどかった私の心が解放された具体的な方法をお教えしています。

愛着障害、抑うつ、HSP等様々な症例を扱っていますが自らの経験を踏まえ特にアダルトチルドレンのスペシャリストとして多くのアダルトチルドレンの方々に和やかマインドを手に入れてもらいを幸福のサイクルにリードしてきました。

カウンセリングはあなたとカウンセラーとの相性がとても大切です。

相性を確かめる上で私のプロフィールをお読みいただき私の事を少しでも理解して頂ければ幸いです。

経歴

4歳:父親と死別。母と幼い姉妹、親戚の前で自分の感情を全開で泣き叫んでいた。

7歳:母へ極端に甘える子だった。母は心配し先生へ相談。その後のクラス会で全生徒の前で先生から皆に甘えを暴露され「お母さんに心配かけるな!!」と往復ビンタを数発受ける。恥ずかしさと痛みの衝撃で以降、感情にフタをして母への甘えは一切止めるようになる。

15歳:思春期も一切反抗期のない「いい子」であった。同時に劣等感と責任感の間で抑うつを抱える。

22歳:心のしんどさが限界に達しうつ病を発症。消えたい気持ちが出る。

26歳:職場では「いい子」で評価を上げる事に熱心となり実績を上げ続けるも抑うつと喘息に苦しむ。

31歳:所属長、最年少役員に任命を受け板挟みが多くストレスからアトピー性皮膚炎で身体全身が真っ赤になる。じんましん、喘息も再発し入院。併せて過敏性腸症候群となり下痢が続く。

又、5年以上不妊治療をするも失敗。職場でも人間関係でトラブルが続き再びうつ病発症。

40代:尊敬する創業者が逝去。後を継いだ社長との度重なる衝突から適応障害の症状が出る。

40年来の「いい子」が感情のフタを開け自分の心の声を聴き15年我慢し続けた所属長の辞任を提出。

自責の念や罪悪感の葛藤で心がしんどく苦しい日々が続く中「助けて」と心から思いカウンセリングを受ける。

自分自身が40年間、アダルトチルドレン(ヒーロー、ピエロ、ケアテイカーと他混合)、愛着障害(不安型)、HSPであったこと、そして社会人となってから職場カサンドラ症候群にも陥っていたことがわかった。

その後、ある心理療法でかつて味わったことのない安心で和やかな心を体得

以降、心のしんどい人を世の中から無くし、心から幸せに生きている人を増やしたいと心理カウンセラーとなる。

様々な心理療法を学び大学の心理学科で専門的知識も身につけ独自の90日間 和やかマインドメソッドを考案。

主にアダルトチルドレンにより心のしんどい方々を日々サポートし和やかマインドを手に入れてもらい「幸福のサイクル」へとリードし続けている。


より詳しいプロフィールは下記です。

よかったらお読みくださいね。

アダルトチルドレン原因でおつらいあなたにはぜひ読んで頂きたいのです。

4歳で父親が喘息起因による心臓発作で逝去。感情を全開で泣き叫ぶもその後は感情にフタをする

4歳で父親と死別。親戚曰く、私は霊柩車で運ばれる父に向かい「どこに行くの!?」自分の感情を全開で泣き叫んでいたらしい。

7歳の時には母への極端な甘えがあり(毎朝、母が私を抱きかかえてソファまでいかないと私は起きない。トイレでお尻を自分で拭かず母に拭かせる等)母は心配し学校の先生へ相談。その後のクラス会で先生から皆の前で甘えを暴露され「お母さんに心配かけるな!!」と往復ビンタを数発受ける。同級生の前で恥ずかしさと痛みの衝撃で以降感情にフタをして母へは一切甘えないようになる。

劣等感と責任感の間で母親に絶対心配かけないと心に誓った幼少期

「あなたは母子家庭の家族の大黒柱」と幼少期から親戚や周囲から言われ続けた。期待に応えようと「いい子」として振る舞う。

8歳のある日、外出する時に母の友達が家に来ていた。ふすま越しに「行ってくるよ」と母に伝えたのを母の友人は「今の言い方はまるでご主人みたい」と言っていたらしい。それくらい「大黒柱」になろうと小さいながら責任感を持っていた。

当時は胃腸が弱く痩せており父と同じ喘息もありアトピーもあった。家は貧しかった。人と比べ常に劣等感を抱えていた。ある日、喘息で苦しくアトピーのかゆさで寝れない時、母に「なぜ僕は人とこうも違い不幸なん?」と詰め寄るように泣きながら聞いたことがあった。

母は何も言わず悲しそうに横を見ていた。

母の悲しむ顔は二度と見たくないと以降、絶対に心配をかけないように心に誓った。

中高生は反抗期が無く自分の感情を抑えひたすら「いい子」となる。部活でも責任感から常にリーダー的存在になる。

以降「劣等感と責任感のいい子」のアダルトチルドレンの要素を抱えたまま成人を迎える。

心がしんどく、うつ病を発症した大学時代

大学時代も心はしんどく抑うつ状態であった。

就職氷河期の中、中々決まらない就職活動の採用への焦りや極度の不安を感じた。自己否定、自責を続けていた。

そして同時に学業費用を稼ぎながら授業、テスト、卒論に追われた。そして「いい子」のまま大学での諸行事のリーダーも頼まれるのを断れず引き受けた。睡眠不足、疲労が重なり精神的にも追い込まれていき、ある日動けなくなり遂にうつ病を発症。

何もかもいやになり消えてしまいたい気持ちが出て心療内科へ。

就職後も「いい子」で苦しみながら感情を抑えて仕事をする

就職は決まったが引き続き心療内科に通っていた。24歳就職二年目で仕入れ先と営業との板挟みで上司先輩が大量離職した。そのような精神的にきつい部署であった。

しかし創業者の期待に応えようと社内でも「いい子」で感情抑え、新人ながら責任を持ち人手不足の中、完璧主義で失敗を恐れながらも必死に努力した。

学生時代から支えてくれた彼女と結婚。

若く経済的余裕が無い中、評価を上げて給料を増やそうとがんばった。

抑うつ状態の中、承認欲求の評価を求め創業者や周囲から認められようと皆の顔色見ながらがんばった。上司の大量離職後、いつしか自分が部署では中心的存在になっていた。

ノーが言えず「いい子」で両方の顔色を見て板挟みに悩み続ける

ノーが言えない性格から営業部との対話を通じ要望を聴かざるを得なかった。

仕入れ先の開拓を通じ部の立て直しを図った。「いい子」のまま部のリーダーとなる。

26歳で創業者から取締役に推薦を受ける。

31歳で社内最年少取締役になり仕入れ所属長となる。以降は部署内外で面談を2000回以上行う。

人の目がいつも気になり、そして何かに追い立てられるように常に頑張らないと罪悪感を感じ手を抜けない性格であった。

世界各国へ合計100回以上の海外出張をこなし売上業界内で第一位となる貢献を果たす。

同時に全国各地のエリアから発生する年間大小約1000件以上のクレーム対応の責任者としても苦情を聞き続けた。(所属長時代の15年で部として合計約15000件のクレーム)

どちらにもいい顔をしたい「いい子」で有りたい気持ちが強かった。両方の満足は難しくあちら立てればこちらが立たない中でいつも葛藤が続いた。仕入れ先と社内の営業部そして部下と会社との板挟みになり日々心がしんどくなるも責任感から交渉の矢面に立って心をすり減らした。

感情を抑えて「いい子」を続け、遂に心と身体に異変が起きた30代

板挟みや過酷な業務のストレスからアトピー性皮膚炎で身体全身が真っ赤になる。じんましん、ぜんそくも再発し入院。併せてストレスから過敏性腸症候群となり下痢が続く。

同時に5年以上不妊治療で500万円以上使うもうまくいかず妻は泣き失望した。以降、子供の居る場所に行くのも嫌になり、友人と子供の話が出るのも苦痛で同窓会も欠席。プライベートでも楽しさが少なくなる。

幼少期から母は女手一人で働いて私、姉妹を育ててくれた。小学校時代の運動会には母は来れず、一人で弁当を食べていた経験から自分が父親となって運動会に参加することを長年夢見ていた。

しかしその夢は破れて挫折し涙を流した。

仕事では変わらず所属長として職場で仕入れ先や部下の問題で自身が罵倒叱責を受けることも多くストレスが増える。

医師からは「不妊は仕事のストレスが原因かもしれない」と言われた。

仕事と私生活ともに上手くいかず何の為に仕事をしているのかも分からなくなってきた。

心と身体は限界に達し再びうつ病を発症

今では考えられないが当時は心がしんどすぎて仕事をやめたく「いっそ癌になれば周囲は辛さが分かるのに」と癌になりたいとすら思った。

再び消えてしまいたい気持ちが出てしまい心療内科を再度受診した。

医師からはうつ病と診断され「消えてしまいたいくらいなら仕事を辞めなさい」と伝えられる。

薬を処方された。一時は心が落ち着くもの頭がフラフラする状態であった。このまま一生を薬を服用しないと行けないのかと不安を抱えた。

退職を考えるも責任感から我慢し様々な多くの書籍を読み自分を鼓舞した。「平風さんが辞めるなら僕も辞めます」と言ってくれる部下もおり裏切れない気持ちもあった。引き続きあきらめず、なんとか所属長としての仕事を継続し続けた。

発達障害グレーゾーンの部下の指導に悩み苦しみ続けた

当時は周囲とコミュニケーションが成り立たない部下と仕事でミスばかりするADHDの傾向がある別の部下の指導にも疲れ切っていた。

注意しても全く変わらず周囲の他の部下達は彼らと仕事を一緒にするのが嫌で退職をさせるように私へ迫り続けた。

私はなんとか彼らに仕事を続けてもらいたく毎日毎日面談し一緒に改善できるよう指導したが彼らはやはり変わらずコミュニケーションが成り立たず、仕事でもミスばかりであった。

日々他の社員から彼らへの不満、ミスへの怒号が収まらず、このままでは他の多くの社員達が疲弊し辞めていく可能性もあった。

苦渋の決断ではあったがもっと適性に合う職場があることも伝え退職を言い渡した。

いい子でありたい自分が人を退職に追い込み路頭に迷わすのは辛すぎた。夜中彼らの家族を思い出しては目が覚めて苦しんだ。

その後も抑うつは続き人と会うのがどんどん煩わしくなった。

社内旅行のたびに気疲れし原因不明の発熱を発症。毎日毎日リタイヤしたい気持ちばかりが出てくるようになる。

仕事でのトラブル、尊敬する創業者の死

40代を迎えた頃、自身が仕入れた商品にクレームが付き1000万円の損害予測となる。(後に損害はそこまで多くないことが分かり、半年後に返済し解決)

それを機に社員一名から批判され続け、罵倒のパワハラを受ける。

あまりの辛さと怒りで社長とその社員へパワハラによる裁判を起こす可能性を伝える。

その後、社内で人間関係が壊れていき退職も検討。再び抑うつ状態になった。

その後、父親代わりに尊敬していた創業者が逝去。これまで創業者の励ましで、なんとか持ちこたえれていたがその精神的な支えを失ってしまった。屋上で一人涙を流していた。

支配的なアスペルガー症候群の要素の強い社長との関係が最悪になり遂に限界に達し「心の声」を聴き感情のフタを開けた

創業者の後を継いだ相性の良くない否定ばかりする社長との度重なる衝突から適応障害の症状がでる。同時にストレスから椎間板ヘルニアによる坐骨神経痛に苦しみ寝返りだけでも痛みが走った。

心無い発言、感情を逆なでする発言を繰し返し、人への思いやりの気持ちが分からず、支配的、高圧的に振る舞う社長は今振り返るとやはりアスペルガー症候群の傾向性がかなり強かった。

しかし当時は理解できず、心に土足で踏みにじってくる言葉に苦しみ続けストレスと抑うつ状態が続いた。

現場の苦労、状況を知らずに人への思いやり共感性一方的に否定し命令し続けて来た。

共感性や思いやりがなく支配的であったが仕事の遂行能力にはすぐれているというアスペルガー症候群の特性があった。

一番身近で指示を直接受ける私の気持ちを他の人々は理解できず、相談出来る相手もおらず一人で苦しみ続けた。


当時の私は職場のカサンドラ症候群に陥っていたのであった。

もうこれ以上、この人の下では無理だと思った。

この世から消え去ってしまえばいいのに。

こいつさえいなければ…

思考がどんどん自分がありたいと思うところから離れ続けた。

そしてついにこれまで所属長として15年間我慢し続けてきてやってきた「いい子」の感情のフタを開いた。

土足で人の心にズカズカ入って否定と命令ばかりで心通い合えず支配的に振る舞う社長に対し、遂に自分の心の声が聞えた。


「俺はラジコンカーじゃない!」

社長への進言を受け取ってもらえず辞任を決意

社長が間違っていると思った点は間違っていると進言し面談を申し込んだ。進言内容について私が正しいと言ってくれた周囲の人々もいた。

しかし社長は怒り心頭であった。

社長には改善する様子も歩み寄る様子もなかった。やはりこの人の下では無理だと思った

そして遂に「社長から直接指示を受ける」所属長の役職を辞任することを会社へ伝えた。

離れること逃げることを選択した。

考え方ばかり変えるのでなく行動を変えることを決断。

社内大混乱となり自責の念で寝れない日が続く。自分の感情が分からなくなっていた

その後、社長から慰留の依頼はなかったが多くの人から所属長の慰留を求められた。「平風さん以外に所属長をやれる人はいない」と言ってくれる人がたくさんいた。

継続すべきか我慢して社長に迎合し妥協し再度所属長をすべきか葛藤が続き胸が締め付けられて心が苦しい日々を過ごした。

半年間、誰も後を継ぎたがらず後任が決まらず社内大混乱となり自責の念と罪悪感が続く。毎日毎日胸が苦しかった。

社長からの心ない発言や支配は辛かったが、慰留を求められながら人達の期待に応えていない事、混乱を招いたのも「いい子」である自分には同時に罪悪感で耐えられない事であった。

夜中に頻繁に目が覚め、自責の念で胸が締め付けられ熟睡できない日々を過ごした。

40年間「いい子」で生きて感情のフタをし続けた結果、自分が所属長を再度したいのか、社長と離れるためにそのまま辞任したいのか自分の気持ちも分からなくなっていた。

元部下が上司になり無念さと疑念と寂しさを感じた

その後も社内混乱は続き半年が経ち元部下が上司になった。

「1億円もらってもあの社長の下で所属長はしません」「社長は間違っています」「平風さんが会社辞めるなら僕も辞めます」と発言していた信頼していた部下が社長側に付いた。

長年、気を使い接して来た部下が社長側に付き私へ様々指示命令してきた。会社員をしている限りこのようなことは仕方のない事であるが元部下への疑念と寂しさを感じた。

そして大幅に減給の降格辞令の紙きれを渡されただけで私の15年に渡る所属長の役割が終わった。総務一名、社長一名と私の三者面談で1分にも満たない事務的な面談であった。

15年間、必死に会社を良くしようと、部下を守ろうと、うつ病にも耐え、不妊治療にも耐えアトピーにも耐え我慢しながら続けてきた結果が、紙切れ一枚と1分の面談で終わり、帰りの電車で悔し涙が出てきた。

ただただ無念だった・・・

しかも私の所属長時代の役職以上の上の役職を部下に付けるという報復的な人事が社長決裁で決まった。プライドがかつてないほど傷つき無気力になっていた。

カウンセリングを受け自己否定を繰り返していた自分を100%丸ごと包み込んでくれたカウンセラーの言葉に涙

応援してくれる人もたくさんいたが、社内の人間へも疑念がわき人間関係がどんどん壊れていった。

心身ともに限界に達していた。

自分ひとりではもうこれ以上先には進めなかった。

そして遂に「助けて」との気持ちでカウンセラーに全てを打ち明けた。

カウンセラーはその全てを受け入れてくれた。

これまでの自分の人生を振り返ると自己否定と自己啓発を繰り返し自分自身を責めてばかりだった。

しかしカウンセラーは100%味方となり私にこう伝えてくれた。

「もうこれ以上自分を責めなくていいよ」

「15年お疲れ様。一つの役割が終わったら、新たな役割が始まるんだよ」

涙があふれてきた。

100%味方でいてくれたカウンセラーのこれらの言葉を聴いたとき、その場に「和やかな風」が吹いたように感じた。

調和した癒しの空間ができた。

自己否定と罪悪感で冷たくなっていた心が温かくなった。心が和やかになった。

又、少しずつ前に進めると思った。

この時の体験からカウンセリングルームの屋号を和(なごみ)の風にした

心理療法との出会いによりアダルトチルドレン、愛着障害、HSP、職場カサンドラ症候群による抑うつの心のしんどさを乗り越える

その後は様々な心理療法を受けた。

そしてアダルトチルドレン、愛着障害、HSP、職場カサンドラ症候群という言葉も知った。

40年間、心がしんどく抑うつ、うつ病を繰り返していた原因が分かった。

学生時代から心のしんどさを無くそうと自己啓発本を1000冊以上を読んでも多くのセミナーに参加しても心からは救われなかった。

しかしいろいろな心理療法を受けていくうちに自分自身を理解出来、自分の本当の感情と向き合い、受け入れ心が楽になり和やかになってきた。

自分に必要なのは自己を啓発する事だけでなく自分の気持ちを理解し感情のフタを外し、出てきた本当の感情を誤魔化さず受容し抱きしめることであった。

そしてこれまでの起きた出来事を振り返ると、他人軸で生きていたこと、そして偏った信念がたくさんあることにも気づけた。

自分軸で生きていくように大きく転換が出来た。

ある心理療法でこれまでにない絶大なる安心感を会得、身体の不調も回復

そしてついにある心理療法に出会いこれまでに味わったことにない安心感を得ることができた。

自分の心と向き合い感情のフタをあけることで暫くは15年続けた慣れからの反発にも苦しんだが自分の本当の声がみつかった。

苦しんだ時期を乗り越えてようやく人生をのびのびと楽しめるようになった。

同時に心の落ち込みや胸が締め付けられる抑うつや、喘息、アトピー、過敏性腸症候群、椎間板ヘルニアによる坐骨神経痛などの身体に起きていた不調和な状態が不思議に治っていた。

心と身体が如何に密接に結びついているかを本当に実感した。

心理カウンセラーになり充実した日々を過ごす

現在は40年来アダルトチルドレン、愛着障害、職場カサンドラ症候群が原因の抑うつによる心の辛さから解放された経験を元に心理カウンセラーとしての「新たな役割」で心から幸せで充実した日々を過ごしている。

もし、あの時「助け」を求めずカウンセリングも受けずあの心理療法を知らなければ今の自分はどうなっていたか。

感情にフタをし所属長を我慢し続けて心のしんどさを抱えたまま定年までいやいや、やりたくない事をしていたかもしれない。

もしくは罪悪感を抱え自責と自己否定で心は落ち込み続けたかもしれない。

そして未来の定年後も苦しみながら不幸せな人生を歩んでいたかもしれない。

再びうつ病を発症し重症化し仕事や生活もできない状態になっていたかもしれない。

40年来の「いい子」を手放し、当初は葛藤があり苦しんだが、以降生まれ変わったように、のびのびと、我慢せず自分らしく心から楽しく生きるようになれた経験を得た。

感謝と歓喜の気持ちで多くの人々に和やかマインドを手に入れて頂き幸福のサイクルへリードし続けている

各種心理療法を学び続けて、大学の心理学科も本科生として受講し専門的知識も身につけた。

自身の40年に及ぶ心のしんどさを乗り越えた経験も付け加え「心の負のサイクル」から「幸福のサイクル」へリードする「90日和やかマインドメソッド」によってたくさんの人の笑顔を見てきた。

現在はアダルトチルドレン、愛着障害、職場カサンドラ症候群が原因で抑うつが続き、真面目に生きているのに、気づくと不安、イライラ、無気力で心がしんどく、生きづらさを感じている多く人々のサポートをしている。

世の中から「心がしんどい人」を一人でも減らしたい。一生に一度の人生を自分らしく、のびのびと楽しく心から幸せに生きる人を一人でも多く増やしたい。

この様な思いと使命感で今日もカウンセリングの現場で人々の心を和やかにし癒しと和(なごみ)の風を与え幸福のサイクルヘリードし続けている。

アダルトチルドレン、愛着障害、HSP、職場カサンドラ症候群かも?と感じている心のしんどい人が「和やかマインド」で生きられる方法とは?

以前の私のように40年も心がしんどい「不幸せのサイクル」から抜け出せなくなる前にあなたの感情のフタをはずしてほしい。

もっとがんばらないと!と自分を否定しながら、自分を責めながら、自分に鞭を打ち続け、自分の首を占め続けないでほしい。

もっと自分を愛してほしい。時には逃げてもいい。

もっと自分を受け入れてほしい。もっと自分を抱きしめてあげてほしい。そんな事すらできないくらいあなたは、感情にフタをしてきて、今の感情が分からなくなっているのかもしれない。

人生はたった一度。もう苦しむのはやめてほしい。

感情にフタをしたたまま、うわべの幸せの言葉で感情を誤魔化さなくてもいい。

あなたの感情をもっと出してそれを抱きしめてほしい。

あなた自身の全部を抱きしめてほしい。

のびのびと自分らしく生き、心からの幸せを感じてほしい。

私は40年苦しんだ。心がしんどかった。

あなたにはもうこれ以上苦しまないでほしい。

もっと人に頼ってもいい。

もっと感情を出してもいい。

私は今、母親、小学校の先生、以前の社長、部下、過去の全てに心から感謝し日々を幸せに生きている。

それは人に頼っても良いとカウンセリングを受けて、そしてある心理療法で遂に「和やかマインド」を手に入れてのびのび楽しく日々を幸せに過ごしているから。

最後までお読みいただきありがとうございました

長文を最後までお読みいただきありがとうございました。

もしあなたがアダルトチルドレン、愛着障害、職場カサンドラ症候群による心のしんどさかもとお悩みでしたらお試しカウンセリングでご相談くださいね。

アダルトチルドレン、愛着障害、職場カサンドラ症候群かな?と分からない方もお気軽にお問合せくださいね。

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お試しカウンセリングでお会いできることを楽しみにしています。

あなたをいつも応援しています。

心理カウンセラー 平風かずのぶ